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七年間にあった出来事

1 :いち:04/02/17 22:40 ID:1eyun6uS
この七年間にあった出来事を聞いてもらえませんか?


2 :酒飲んで暇:04/02/17 22:41 ID:LpJleZsw
いいよ。 何でも話しなさい

3 :いち:04/02/17 22:41 ID:1eyun6uS
長くなりますが。

4 : :04/02/17 22:41 ID:oUN9/4wN
雑談スレやめれ。

5 :酒飲んで暇:04/02/17 22:42 ID:LpJleZsw
いいよ。どした?


6 :生活さん:04/02/17 22:43 ID:vK0luAmE
ずいぶん前のスレに生活さんが自分語りをしたくだりがあるので
そこを読んでくれると書き込まなくていいので楽なんですがね

ざっと2〜300レスくらい長文が続きますが

7 :酒飲んで暇:04/02/17 22:43 ID:LpJleZsw
>>4 あんたも相談相手になれ。

8 :  :04/02/17 22:44 ID:LpJleZsw
能書きはいいからさっさと話せ。

9 :マルメンライト:04/02/17 22:46 ID:G2A1GpMO
俺も聞いてやるよ。

10 :生活さん:04/02/17 22:46 ID:vK0luAmE
まず初恋の相手から聞こうか

11 :酒飲んで暇:04/02/17 22:47 ID:LpJleZsw
>>9 おお・・いい奴だ。キミは今度の宝くじが当たるぞ・

12 : :04/02/17 22:47 ID:oUN9/4wN
削除申請を出しておく。

13 : :04/02/17 22:49 ID:TwjA9MbA
1さんってほんとにIDが1なんだね

14 :ななしのデブ:04/02/17 22:50 ID:vt9Pxpev
だいだい2500回くらい眠った
だいたい8500回くらい食事した


15 :マルメンライト:04/02/17 22:51 ID:G2A1GpMO
>>11
グリーンジャンボは買ったよ。
>>12
もうちっと待て。
>>1
どうした?いち?

16 :酒飲んでびっくり:04/02/17 22:51 ID:LpJleZsw
>>13 ほんとだ!

17 :いち:04/02/17 22:54 ID:1eyun6uS
明治時代…
父親の四代前の先祖は、
大地主で市長や医者が出る
名家でした。
私の父親は一応、跡取で、長男で、
うちは「本家」です。
でも、今は、落ちぶれて見る影もない。
残ったのは、姓名のみ。
その姓名はいまだに地元で
名家としての通用力がある。
何代か前に分家した親戚は、豪邸を立てています。
そして、その親戚たちは、昔ほどではないですが、
栄えています。


18 :酒飲んで暇:04/02/17 22:55 ID:LpJleZsw
雲。それから?

19 :いち:04/02/17 22:57 ID:1eyun6uS
私は、本家の長女です。
女しかいないので、私が 跡取 です。
笑っちゃいます。それも名ばかり。
その廃れようときたら。

20 :酒飲んで少し正気:04/02/17 23:00 ID:LpJleZsw
 >>19 うん。

21 :いち:04/02/17 23:05 ID:1eyun6uS
以下偽名

亀助は、大金持ちの旦那様でした。
その子供の千代助はやさしい人でした。
千代助は奥さんを貰いました。
奥さんは結核で寝込みました。
千代助は、土地を担保に入れて、
金を借りて、薬代を捻出しました。
金を返せなくて土地を没収されました。
そのころの金貸しは、1000万の土地を担保に
取って、1000万の金を貸して、
あと、残り100万返せなければ、
土地を全部没収するという
それは悪どいやり方をしていました。
泥棒です。
千代助はどんどん土地を担保に入れました。
土地はどんどん減っていきました。
結局、奥さんは死にました。

22 :酔えなくて暇:04/02/17 23:08 ID:LpJleZsw
>>21 うん。それから?

23 :いち:04/02/17 23:09 ID:1eyun6uS
千代助は世間しらずでした。
だから、やさしさのあまり、
財産を潰していきました。
土地が無かったら、一族が生きていけなく
なるということも知らずに、
ただ、病人のために散財したのです。

千代助に家長としての責任の
教育をしなかった亀助がもうすでに、
世間しらずだったのかもしれません。

千代助の隣に住む武家から
金を借りては、土地を没収されていったのです。

24 :ちんこちゃん:04/02/17 23:11 ID:/XvUQCre
長そう。
この7年間で始まるかと思ったら明治からか。


25 :いち:04/02/17 23:14 ID:1eyun6uS
千代助の住む地域は、河川敷の
交通の盛んな豊かな土地でした。
米もたくさんできました。

武家は、山奥の貧しい村から
引っ越してきた人たちでした。
厳しい貧乏に耐えて耐えて
ハングリー精神旺盛な人たちでした。

引っ越した先の、隣の家には、
世間知らずの千代助が住んでいました。
金を貸すといったら、喜んで
担保を出しました。
武家はあくどい金貸しをして、
どんどん大きくなっていきました。

26 :いち:04/02/17 23:14 ID:1eyun6uS
>>24
これらが、
私の人生にかかわってくるのです。
まさに因縁とも言うべきか…

27 :退屈で暇:04/02/17 23:19 ID:LpJleZsw
>>26 あんまり引っ張ったらみんな引いてしまうぞ。

28 :いち:04/02/17 23:20 ID:1eyun6uS
>そのころの金貸しは、5000万の土地を担保に
>取って、1000万の金を貸して、
>あと、残り100万返せなければ、
>土地を全部没収するという
>それは悪どいやり方をしていました。

訂正します。
1000万借りるために、
4000万の損害だったということです。
これは、適当な数字ですが、これぐらい暴利でした。

29 :いち:04/02/17 23:31 ID:1eyun6uS
千代助には、二人の息子と一人の娘がいました。
・知的障害の息子…太郎
・賢い息子…次郎
・普通の娘…花子
千代助は、太郎が不憫でした。
「太郎は他の地域では生きていけない」と
千代助は思い、太郎に家を継がせることにしました。
太郎は、女を買い、土地を売り飛ばし、
酒を飲みました。
太郎はやりたいほうだいしました。
奥さんを毎年孕ませて
毎年未熟児が生まれては死んでいき、
10人ぐらいは墓に埋めました、葬式も出さずに。
奥さんは30代で殺されました。

千代助の判断によって、
徹底的に家を滅ぼす方向に向かいました。

30 :いち:04/02/17 23:35 ID:1z4qcMfs
その時、千代助が見たものは!!

31 : :04/02/17 23:35 ID:f/U9vf5c
>>30
工エエェ(´д`)ェエエ工

32 :いち:04/02/17 23:40 ID:1eyun6uS
次郎は養子に行きました。
養子先で、頑張って安定した家庭を築きました。

花子は50歳の金持ちの男に
レイプされて、男の子が生まれました。
男は、養子だったので、
金持ちの家から追い出されました。
花子と男は新婚生活をしましたが、破局しました。
花子は別の家に嫁に行きました。
男は、太郎の家に男の子を預けました。
男は寂しく暮しました。

男の子は、太郎のもとで育ちました。
それは酷い環境でした。
太郎の子供は、二人生き残りました。
大介と真理子です。
大介は一番目の子です。
真理子は、最後のほうの子です。
真理子は頭が弱いです。
真理子が怪我をしても、病院に連れて行ってもらえま
せんでした。だから、腕が曲がったままです。
男の子の赤ちゃんは、忠志といいます。
忠志、大介、真理子 の三兄弟で育ちました。
忠志が長男です。
忠志は私の父親です。

33 :いち:04/02/17 23:50 ID:1eyun6uS
忠志は、酷い環境で育ちました。
未熟児を何人も埋めに行きました。
太郎は、大介が生まれると、
忠志をいじめはじめました。
なにせ、実子ではないのですから。
天井が抜け、障子が抜けたあばら家で
食事も満足に与えられずに、いました。
ふとんも満足にありませんでした。
こごえながら暮しました。
近所の親切なおばさんが忠志を助けてくれました。
太郎の家は
近所では有名なお化け屋敷となっていました。
何代か前は、そこら一帯の大地主だったものが!
忠志は、14歳から働きました。
給料は太郎が忠志の頭を殴ってとり、
酒や女に消えました。
忠志は、大介や真理子のためだけに
頑張りました。
太郎の奥さんは髪の毛が全部抜けたと
思ったら死んでしまいました。
太郎には、前の奥さんがいたそうですが、
太郎のキチガイぶりに、びっくりして、
家の貯金を持って逃げました。
次に来た奥さん(大介と真理子の母)は
名家のおじょうさまでした。
ただし、知的障害者でした。
嫁入り道具は漆塗りで、きらびやかな
着物をたくさん持ってきました。
太郎はそれを全部質に入れました。

34 :いち:04/02/18 00:04 ID:LBqt0Q/O
大介は耐えかねて都会に出て行きました。
忠志は、真理子の嫁入りを整えてやるために
会社を辞めて金を作りました。
真理子は幸せになりました。
忠志は、お化け屋敷に一人残りました。
屋敷は傾きかけていました。
近所の人はばい菌でも見るように
その貧乏を嫌いました。
忠志は、子供のころからの
持病を治療できなかったために、
苦しみながら仕事に通っていました。
花子と忠志は何度か会いましたが、
花子は忠志を毛嫌いしました。
里香は花子の子供です。
花子は忠志への恨みの念を
里香にぶつけていましたから、
里香は自然と忠志を恨んでいました。
里香は、見合いをしました。
しかし、忠志の住んでいるお化け屋敷を
相手方に調査されて縁談は破局しました。
里香は忠志を恨みました。
里香は仕事に生きることにしました。
そして、重役公務員で定年退職しました。

35 :いち:04/02/18 00:14 ID:LBqt0Q/O
病気や貧乏で、苦しんでいるうちに
忠志は、結婚が遅くなりました。
忠志は年下の看護婦に出会って結婚しました。
奥さんは美智子です。
美智子と忠志がお化け屋敷で暮して
いました。
すると、明け方に、お化けが出ました。
それはお化けというより、ちゃんとした
人間の形をしていました。
金持ちそうな着物をピシッと着こなした老人が
たっていました。そして消えました。
忠志と美智子は同時に目撃しました。
その日から、忠志たちはそこで暮らすことを
やめました。
それは先祖からのメッセージだったと
忠志は言いました。
お化け屋敷は、近所から冷たい目で
見られていたし、そこで子育てなぞ、
できるはずもなかったからです。
ここを出て行って幸せになれというメッセージ
だと忠志は言いました。
お化け屋敷は自然崩壊しました。
忠志は公営住宅で子育てをしました。
私は、ざっくばらんな公営住宅で
幸せに育ちました。
お化け屋敷の跡地を売って、
遠くに家を買いました。

36 :いち:04/02/18 00:30 ID:LBqt0Q/O
忠志が買った家=引っ越した家は、
太郎の奥さんの実家の近所です。
その実家はものすごい名家です。
私は、太郎の奥さんの生き様と、
えんえんと続く塀やそそり立つ豪邸とを
見比べて皮肉な気持でした。

私の先祖が地主だった河川敷あたりの
土地は、まあまあ町になって
土地値が上がりました。

忠志は、苦労の反動でギャンブル癖が
あって、散財していました。
美智子がいなかったらとっくにのたれ
死んでいます。
私たちは汚い家ですが、つつましく貧しく
くらしていました。

私の姓名を地元の人が聞いて
名家だとか言いますが、
すさまじい没落劇を聞いた私は、
名家?別世界のことです。
私は生まれながらに、公営住宅の庶民です。
あけっぴろげで人情があふれる
公営を誇りに思っています。

37 :いち:04/02/18 00:42 ID:LBqt0Q/O
さて、
亀助の子供はふたりいました。

長男の周助と次男の千代助です。
しかし、
亀助は千代助に家を継がせました。

周助は養子に行って、その筋の親戚からは
エリートがたくさん出て盛り上がっています。

千代助の筋は、千代助から滅びだしました。

千代助の筋が本家で、
周助の筋が分家です。

本家の跡取が私です。…らしいです。

38 : :04/02/18 00:45 ID:xzZs8NDb
読むのだりー

39 : :04/02/18 00:47 ID:COhB6Rji
全部呼んでる人はいない罠。

40 : :04/02/18 00:48 ID:COhB6Rji
まあ、いちは気の済むまで書き込んでくれ。
その後で、1レスで簡潔にまとめてくれな。

41 :いち:04/02/18 00:48 ID:LBqt0Q/O
以上が前おきです。


私は、家のことなんてどうでもいいんです。
血筋がどうのこうの、
貧乏なんだから、関係ないと思っています。

42 :いち:04/02/18 00:54 ID:LBqt0Q/O
私は貧乏なので進学できませんでした。
高校出て働きました。
事務職です。
お金たまったら大学いこうかと
考えていました。
社会勉強のためにも働いて
おいたほうがいいと、思い働きはじめました。
それが7年前のことです。

43 :ちんこちゃん:04/02/18 01:01 ID:N54mboyn
たぶん
親の因果が子に報い。ってところか。
読んでないけど。
そしてどんな報いが。


44 :いち:04/02/18 01:14 ID:LBqt0Q/O
公営住宅に住んでいたころに、
マンモス小学校に行っていました。
人数がほんとうに多くて、授業も手抜きでした。
悪がきがいじめてきて、
ヤクザの子がちょっかい出してきたりして
殺伐とした環境でした。
しかし、近所の子たちは気さくで
遊び仲間は多かった。
必死に生活する人たちの生き様を
間近に見られて勉強になりました。
宗教にやられてる人、
酒にやられてる人、死んでしまう人、
近所同士の不倫、破局、ボケた哀れな人、
悪口おばあさんに仕返しのために、
玄関にウンコ塗りつける事件、
空倉庫を勝手に改造して秘密基地にしたり、
若い手下を引き連れて小学校に乗り込んだ
ヤクザの奥さん、
裸電球だけの極端にケチな人、
万引きをかばう親、ネコ屋敷、
苦労人、覚せい剤でふらふらになった人、

45 :いち:04/02/18 01:20 ID:LBqt0Q/O
私は気が小さくて真面目なので
勉強をこつこつとしました。
頭が特別いいわけではないんですが、
努力は人並みにしました。
いつも成績はトップに近かったのです。

家を買って引っ越したとき、
田舎の学校に転校しました。
そこでは全体に勉強のレベルが低くて、
私は、もっとトップのレベルに上がりました。

私は、得意げにはなりませんでした。
謙虚な子供だったのです。
気が小さいから誉められたら恐縮して
恥ずかしがっているだけでした。

田舎の小学校の隣には、寺がありました。
そこの住職の子供の男の子が
私の席の隣に座っていました。

ぼっちゃんがりで黒ブチめがねで
秀才という感じでした。

46 :いち:04/02/18 01:27 ID:LBqt0Q/O
男の子と私の学力は、ほとんど同一でした。
そして、クラスで一番でした。
テストは100点ばかりでした。
そのとき、私は、何か感じました。
よくわかりませんが何か感じました。
このいかにも秀才くんと私と、
同じ頭の程度だと思ったら、笑いたかったのです。
私はみすぼらしい子供だったからです。
私は前の学校で少しの間、
イジメを受けていました。
それで私は、いじけていたのです。
イジメを受けた原因は、他の子と
比べて貧乏ったらしい、心の覇気の無さと、
服装の乱れだと思います。
貧乏だと心が弱くなるものです。
隣の寺は改築して木の色がピカピカで
いかにも金持ちでした。
その、御曹司が、この貧乏なみすぼらしい私と
頭が同じなんておかしいでしょう。

47 :いち:04/02/18 01:37 ID:LBqt0Q/O
イジメを受けた期間に死にたくなり、
手首を切ろうとしましたが、
馬鹿馬鹿しくなりやめました。
教師は、新人の女で24歳でした。
私が訴えると、いじめっ子に
「あやまりなさい。」と言って
頭を無理やりさげさせて、
「これで許してあげなさい。
許しなさい。許しますね?」と言いました。
それをみんなの前で、晒しました。
私を晒し者にしました。
私の親には、「いじめられるほうが悪い。」と
その教師は言いました。
さらさら、私を救う気は無かったのです。
ずっとあとで
それを聞いて私は愕然としました。
陰湿ないじめを許すことなぞできるでしょうか?
イジメが続いた1年間が終わると
その教師は、教師を辞めました。
あの教師でさえなかったら私は
人生、違っていたでしょう。
できそこないの教師は、
ヤブ医者と一緒です。人の心の命を奪います。
その出来事はイジメ問題が社会問題化する
ずっと前のことです。

48 :20さい@死しか見えない:04/02/18 01:41 ID:4Ez9qFbC
いちさん> 全部見せていただきました。とても心打たれました。

49 :いち:04/02/18 01:45 ID:LBqt0Q/O
中学校高校とも、小心者の私は
変わりませんでした。
学年トップの成績でも、謙虚でした。
…というより、まったくなにも
考えていませんでした。
むしろおどおどしていました。
高校の教師が言いました。
●●さんはこんなに優秀なんだから、
もっと堂々とすれば?と
私に言いました。
私は、なんで?と思いました。
成績と性格はまったく別のものだし、
私なりに普通にふるまっていただけだし、
成績を根拠に、堂々とする…?
そんなの根拠になりはしない。
馬鹿じゃないの?教師。と
思いました。

50 :いち:04/02/18 01:59 ID:LBqt0Q/O
図書の本を返し忘れたときは、
「●●さんはこんなにずば
抜けているのに…なんで。」と
言われました。はぁ?ですよ。
本を返さなかったことを叱る根拠が、
優秀な あ な た が…という言い方ですか?
ちゃんと叱ってほしかったです。

高校は常にトップの成績でした。
私は努力家でした。
英語のテストでは、ひとりだけ、
20点多かったのです。
でも、私はちっとも得意じゃなかったのです。
私が人よりも優秀だとは思えなかったのです。
私は自分のイメージが
いつもみすぼらしい女の子でした。
高校のときも変わらずそうでした。

私のライバルはいつもあの、
お寺の御曹司です。
貧乏なみすぼらしい私が
いくらあがいても勝てない御曹司なのです。

51 :いち:04/02/18 02:03 ID:LBqt0Q/O
商業高校だったから、
ほとんどの人が勉強は手抜きで、
だらしない格好をしていました。
私は貧乏だから
軽い会話や、モノを持っているという
自慢話に加われないから、
友達は少なかったです。
でも、それを恥ずかしいとは思って
いませんでした。
それは小学校のときからずっとです。
でも、それでよかったんです。
心の通じ合う、お金抜きにして語りあえる
友人が今でも、私にはいます。

52 :いち:04/02/18 02:11 ID:LBqt0Q/O
親は私に勉強しろとはいいませんでした。
宿題をやれとせかすこともなかったのです。
私は自主的に勉強したのです。
私は真面目な子供だったのです。

私は塾に行かせてもらえませんでした。
将来進学するなら、自分でしろ、と
言われていました。
父親が稼ぎが少ない上に、ギャンブルを
するので、食うや食わずだったのです。

中学校のときは、
テストのたびに、塾に行ける子は
いいなと私は思っていました。
私が家で必死に勉強しても、
すんでのところで抜かれることが多かったのです。

お金の残酷さをしみじみと思っていました。
子供なりに。


53 :いち:04/02/18 02:34 ID:LBqt0Q/O
進学させてやれない が母の口癖でした。
私はその言葉を聞くと、いつも
悲しくてしょうがなかったのです。
私が遊ぶような子供だったら、よかったの
でしょうが、
時には血を吐くぐらい頑張って勉強するのが
好きな子供だったからです。

母は学歴(世間へのパスポート)の
大切さを知らないのか…と私は思いました。
そして、
その言葉がどれだけ、かよわい子供に
無力感を与えているのか…をも母は知りません。
小学生の私に向けてその言葉を吐いたのです。
「貧乏だから、当然」との根拠で
母は言っていたのでしょうが。

54 :いち:04/02/18 02:34 ID:LBqt0Q/O
私は残念で残念でしょうがなかったのです。
進学させてやれない という事実ではなく、
 そういう風に 私に 言った という事実が。

教育の大切さを知っていれば、
そんなことは、違う言い回しで言うはずです。
教育の大切さを、社会へのパスポートを
大切に思うなら、
「進学はさせてやれないけども、
自分でちゃんと社会的なものを身につけて
生きていけ、学歴は大切だ。」と、
私を勇気付けたはずです。
しかし、私は脱力しただけでした。

母は貧乏の惨めさを私に言っただけでした。
それは親の言葉でしょうか?
いいえ、
私は決して子供にそんなことはいえません。

母は世捨て人に近くて、聖書を読みます。
母は若い時、死にかけました。
それと、
母の母(私の祖母)に放置という虐待を
受けました。
母は特殊な人です。
社会的な価値を、捨てている人です。

私の価値観は違います。
社会的な価値=お金 がなくて、なんで
幸せに生きていけようものか!
私は俗人です。俗物です。
庶民です。学歴もお金もほしいです。

55 :いち:04/02/18 02:43 ID:LBqt0Q/O
母は看護婦をしていたころに、
小児科にいました。
生まれながらに生きていけない
子供が目の前で死んでいく。
生まれて、体を切り刻まれる手術をして、
苦しんで死んでいく。
そんなのを目の当たりにしています。

私は、想像もつきませんが。

母にとって
命の価値の前では、
私の学歴のたわごとはたわごとでしか
ないんでしょう。

貧乏の苦しみさえも、
命を見た人には、軽いのかもしれません。


56 :いち:04/02/18 02:46 ID:LBqt0Q/O
しかし、
私は、「私の人生のために、
勉強がしたい、学校に行きたい、
活躍したい、一度しかない人生のために。」
それが俗人の私の、命をかけた夢なんです。

どうせ健康な私のたわごとです。
進学できないなんて、
生きるか死ぬかの問題の前では
小さなこと、
穏やかな暮らしがあれば、お金は
いらないと、母は堂々と言います。

57 :いち:04/02/18 02:54 ID:LBqt0Q/O
私は違う価値観です。
私はいつ死んでもいいように、
活躍していたい。勉強もしたい。
悔いのない人生を送りたい。
貧乏に足をひっぱられてしたいことも
できない人生はいやなんです。

私は恵まれているから、と母は言います。

悔いのない人生 、…病人でも健康人でも
同じ願いのはずです。
恵まれてる というのは侮辱です。

私は口が裂けても、お金はいらない
なんて言えません。

58 :いち:04/02/18 03:01 ID:LBqt0Q/O
高校時代、

父親はギャンブルで頭がふらふら
していて、むちゃくちゃなことを
言うので、私は父親と怒鳴りあいを
していました。
私は、それをすることによって
父親が正常なのかどうかを
確かめたかったのです。

結果は、異常でした。

私はある日から、ぱったり
怒鳴りあいをやめました。

こいつには頼れない。金輪際…と
思いました。

進学が遠のいていくのを感じました。
お金がないからです。
とにかくお金をためなければ
なにも始まらないと思いました。

高校の教師は、
大学時代のことを楽しげに語ります。
本当に幸せそうで私も嬉しいのですが、
私とは住む世界が違うと思いました。

59 :いち:04/02/18 03:08 ID:LBqt0Q/O
教師が、
「出来る人はけっこう就職する」と
びっくりしたように言いました。
それは、それだけの環境がないから
就職するだけなんだよ…と私は思いました。

父親が財布から、金を盗みはじめました。
前から、ちょくちょくしてたのですが、
こんどは、はげしく盗みはじめました。
3日で5万パチンコで、すった
と聞いて、めまいがしました。
「父親は頭がおかしいから、
財布をかくしておけ。」と私が
母親に言うと、
「そんなことない、
同じ人間としてそんなことはできない。
礼儀として。」とトンチンカンなことを
言って放置するので、
ますますエスカレートしていきました。

60 :___:04/02/18 03:11 ID:OfiPKUGs
1さんガンガレ!

61 :いち:04/02/18 03:14 ID:LBqt0Q/O
ある日、
電話の加入権が
こっそり質に入れられていることを
知りました。
それをもとに、何万か借りているということです。
父親をしかりつけて、
金を返して、電話を私の名義にしました。
本当に情けない気持でした。
ある日、
給料の前借をしてきました。
それを返してこいと母に言われて、
一人では心細いからと母同伴で返しにいった。

高校の友達は頼もしいお父さんの
話をします。
友達のお父さんは一番の稼ぎ時です。

悲しいほど違うと思いました。


62 :いち:04/02/18 03:22 ID:LBqt0Q/O
友達は私より勉強ができません。
でも、大学に行きます。
私は就職します。
私はそうするしかなかったのです。
私を手伝うどころか、足をひっぱる
父親なんて本当に死んでしまえば
いいと思いました。

高校時代の奨学金は食費になりました。
私はいまでもそれを返しています。
10年がかりです。

貧乏が呼ぶ、不幸。
私はお金より大切なものを
見つけたいと思っています。
すべてのものごとの裏を見極めて
お金に踊らされているおろかな人間を
せせら笑ってやりたいです。
貧乏に操られたくないのです。
貧乏に負けたくないのです。
金に執着しつつ、金のことが大嫌いな私です。
愚かな俗人は私なんです。
せせら笑われる中途半端な人は私です。
いっそ、世捨て人になりたいけど、
それは無責任すぎて許せない。

63 :いち:04/02/18 03:25 ID:LBqt0Q/O
進路指導が終わった後、

●●子は大学充分にいける
実力あるのに…と、言って
母が哀れな目で私を見ました。

私は、表面に出さないけども、
激昂しました。
怒りと悲しみがいっぱいでした。

世捨て人の母に言ったところで
理解がもらえないんです。

この私の苦しみを。

学年トップの秀才を哀れな目で見たんです。

私は、完全に母とは
違う人になりました。

64 :00:04/02/18 03:27 ID:N4uMS4iU
私は身内の死でいろいろなことに目が覚めました
とにかくがんばれ

65 :いち:04/02/18 03:45 ID:LBqt0Q/O
父親が黄色い顔をしてでへでへと笑いながら、
財布の金を抜きました。
それを見た母親はやっと気付きました。
そして、財布を隠しました。

私は事務職につきました。
歓迎会で、「なんで進学しなくて
就職したの?」と聞かれて、
苦笑いしながら、就職したかったから。
と答えました。
あやふやな答えに聞こえたでしょう。
私はあやふやな人間に思われたでしょう。
同僚はチャパツでした。
その職場自体が程度の低い場所と
いわざるを得なかったのですが、
お金をもらうために少々我慢しなければと
思いました。

66 :いち:04/02/18 03:52 ID:LBqt0Q/O
就職してまもなく、
父親が癌と診断されました。
大手術をして、何度か死に掛けました。
私はつらくてつらくてつらくて
こんな父親でも親なんです。
つらくて病院まで顔を見にいけませんでした。
頭がボーっとして、私のことまで
忘れているんです。
そして、母のことを、太郎の奥さんと勘違いして
あの、お化け屋敷にまだ住んでいて
小学校に通うと言い出すんです。
5時になったら、仕事の片付けをしないと
いけないといってうろうろしだすんです。
時計も見ていないのに、5時がわかるんです。

67 :いち:04/02/18 03:59 ID:LBqt0Q/O
私はつらくて、仕事に集中しました。
忙しくしてないとたまらなかったのです。

ある日、
サラ金のお兄さんが病院にあらわれました。
また、父親が内緒で借金していたのです。
その期限がきたのです。

本人が危篤の時に取り立てにきたんです。
私と母は倒れそうになりました。

病院費がかさんで、
住宅ローンもありました。
その上、サラ金です。

正直、狂いそうでした。
父親には死んでもらいたいなと、思いました。
がんばっている
私たちをこんなに苦境に追いやる
父親が憎くてたまらなかったのです。

68 :いち:04/02/18 04:06 ID:LBqt0Q/O
住宅ローンがまだ何百万か
残っていました。
滞ると、家を追い出されます。

私は住宅ローンとサラ金とその他費用を
払いだしました。

19の小娘が、手取り10万の小娘が
節約を徹底的にしている小娘が、
サラ金を返してるんですよ。大笑いでしょう。

通勤の途中に、短大があります。
そこのバス停には、チャパツで携帯いじくり
ながらおしゃべりしている同世代がいました。
その人たちを毎日みながら、私は通勤して
いました。

同僚と話が合うはずありません。
12万の腕時計の話とか、
ヴィトンとか、口紅の話とか。

住宅ローンと癌と節約の話ならできます。

私は変人でした。
飾り気ない、みすぼらしい小娘でした。
小学校のときからそうでしたから、いいんです。

69 :いち:04/02/18 04:14 ID:LBqt0Q/O
金銭的に厳しくなっていくと、
父親に死んでほしいと毎日
思うようになりました。
死んでほしいと思いました。

入院の金も用意せずに、
人に負担ばかりかける父親なんか
いりません。
私と母は
精神的にやられていきました。

ある日、
職場の先輩の父親が心臓発作で
死にました。
先輩は、ひきつった顔で我慢していました。

けど、
私は先輩がうらやましかったんです。
ポックリいってくれてるから。

私は、
父親の死を望むって皮肉だな…
とせせら笑うように思っていました。
冷静に思っていました。

70 :いち:04/02/18 04:20 ID:LBqt0Q/O
父親は、内臓に通じているクダを
かってに引き抜きます。
苦しいからです。
それをほっておくと出血で死にます。
母は一晩中、かかりっきりに
なっていました。
病棟で一番手のかかる患者です。
何ヶ月も母が付き添っていました。
私はなれない仕事をするのと、
お金のことを考えるのと、
家のことをするので、精一杯でした。

父親に対する恨みは日増しに大きくなって
いきました。
憐れみなんかふっとんでいました。
ただ、死んでほしいと、何ヶ月も
思っていました。
お金がないのが追い討ちをかけました。

71 :いち:04/02/18 04:37 ID:LBqt0Q/O
母と私は通常の精神状態ではなかったのです。

私は、貯金をすることさえ、難しくなりました。
私の夢は、進学です。
住宅ローンを払っていたのでは
私が潰されます。
けど、払わなければ、家族の住む家が
とられます。
いままで、父親が継続して払ってきた
ものがパァになります。
親戚はあてになりません。
貧乏一族ですから。

里香がお見舞いにきました。
里香は、校長先生をしていて、
お金持ちです。
花子一家が飢え死にしそうになって
里香を学校に行かせたのです。
里香に家族はありません。
里香は、「お金はだせんからな。
あんたらと私とでは住む世界が
違うんだ。」と言って
手切れ金10万をくれて去りました。
母はお金をくれとは言っていません。

里香には過去のわだかまりが
ありました。
憎しみを母にぶつけたのです。
母はびっくりしました。
母は昔のことは知りません。

72 :ぺてんし:04/02/18 05:59 ID:QYNRR7dX
出版しろ!

73 :ぽんちょ ◆cJlGdOEnSY :04/02/18 08:50 ID:Grs6QBE9
それで今に至るってわけですね。

74 :いち:04/02/18 10:02 ID:LBqt0Q/O
話はまだまだ続きます…

75 :通りすがり:04/02/18 10:10 ID:zZPD5vBy
>>74
釣りでもネタでもなんでもいいから早くキボン!!

76 : :04/02/18 12:20 ID:HozouJWR
里香は重役公務員で定年退職じゃなかったのか?


77 : :04/02/18 13:35 ID:COhB6Rji
どっかのうpロダにまとめてテキストであげてくれ。
恥ずかしかったらアーカイブにパスかければいいからさあ

78 : :04/02/18 18:27 ID:HozouJWR
あ、いいのか、ごめんあさい

79 :いち:04/02/18 21:40 ID:LBqt0Q/O
里香は何十年も教育者でした。
そして、定年が間近でした。
里香は私たち家族に対して、
「おまえら貧乏人と私とは
別の世界の人間なんだよ。」と
いう意味のことを言いました。

私はやっぱりな…と思いました。
私は、昔のあの女教師を思い出しました。

里香は教育者でありながら、
そのような言葉を吐いたのです。

貧乏な生徒は見下し、別世界の人間として
心の中では、切り離してきたのでしょう。
そのような人間がのうのうと、
教育現場の上部にいます。

私と母は里香とはあまり面識がありません。
里香は、昔の怨念を抱いて、
死にかけた忠志に対して、
「これが最後の言葉だ。受け取れ。」と
ばかりに、その言葉を吐いたのでしょう。

80 :いち:04/02/18 21:44 ID:LBqt0Q/O
私は里香を憎いとは思いませんでした。
里香のやりきれない気持ちは良く分かります。
血が繋がってるからこそ、そのような
激しい言葉が出たのでしょう。

ただし、教育者が言う言葉ではありません。
教育をとりおこなう人が
そのような言葉を発することを、
(どんな場面であれ)
躊躇しなかったということが、

やはり差別は人の心の中にあって、
貧乏だとその標的にされるということ。
そのような冷たい現実を
私につきつけたのです。
それを私は既に知っていたのですが、
繰り返し私につきつけたのです。

その後、里香は親戚を回って、
「忠志の子供は忠志の子供ではない。」と
いうようなことを言いふらしました。
(つまり、種が違うということ。)

私がある程度、名の知れた企業に
勤めていたからだと思います。
そして、家族が寄り添って幸せそうに
見えたのでしょう。
(実際はそれどころではないんですが…)
家族のいない自分と比べて嫉妬したのでしょう。

母は、直接、里香からの理不尽な言葉を
受けたので、怒っていました。

81 :いち:04/02/18 22:11 ID:LBqt0Q/O
>(つまり、種が違うということ。)
これはもちろん誤りです。
私の顔は忠志にそっくりですから。

金持ちの里香が超貧乏の私たち家族に
嫉妬するとは…、と私は皮肉な思いでした。

何ヶ月か忠志は、生死をさまよいました。
医者からは、これはもうだめだと
言われたにもかかわらず、
忠志は、驚異的な回復を少しずつ見せて
いきました。医者は驚きました。
私たちも驚きました。
私たちはもう死ぬものとばかり決めていて
葬式の話もしていたのです。

82 :いち:04/02/18 22:15 ID:LBqt0Q/O
昔、忠志が育った環境は苛酷でした。
そのため、忠志には粘り強い心と体が
育ちました。それだけがとりえです。
忠志は、貧乏で馬鹿にされて、
ドカチン仕事で真っ黒い顔をして、
ずっと底辺であがいてきました。
金のことは無頓着で楽天的な
馬鹿正直な性格です。
苦労から逃避するために、ギャンブル癖が
できていました。
忠志が恵まれたおぼっちゃんだったら、
この場面で、負けて死んでいたことでしょう。
同じ病室の人がバタバタと死んでいくのに、
忠志だけが、ゆるゆると回復していきました。
貧乏して苦しんだその成果が、
命を救われるというご褒美として
かえってきたのです。
小さいときからの不運は、このための
準備だったと言っても過言では
ないほど、それは奇跡だったのです。
忠志は、他人より不幸だけれども、
その代わり、もう一つの命を貰ったのです。

83 :いち:04/02/18 22:32 ID:LBqt0Q/O
忠志が生き返ったと、里香に
報告すると、里香はビックリした様子でした。
里香があの言葉を吐いたときは、
忠志は危篤状態でしたから。
里香はこの世の別れとして、
捨て台詞を吐いたつもりだったのです。

その後、里香からは接触がありません。
忠志は、里香の葬式には行かないと
言います。

忠志と里香は種違いの兄弟です。
花子は、最後まで忠志をのろいながら
死んでいきました。
里香はもろにその影響を受けました。
花子はレイプのショックで一生苦しんで
いました。花子は忠志の顔をみるたびに、
苦しみました。
忠志の存在が苦しかったのです。
花子は相手の男と忠志をのろいました。
母親であるにもかかわらず、子供を
のろう言葉を吐きました。

84 :いち:04/02/18 22:33 ID:LBqt0Q/O
女がほとんど大学に行けない時代に、
里香は名門大学を出ました。
花子一家は、里香のために
飢え死にそうになりながら、頑張りました。
里香の名前は、地域中に知れ渡りました。
「お前の妹、すごいんだってな?」と
忠志は同僚に言われました。
猛烈な努力家である里香の縁談は、
お化け屋敷が原因で崩れました。
お化け屋敷の原因は太郎ですが、
もう他界していました。
里香はそこに住んでいる忠志を恨みました。

85 :いち:04/02/18 22:54 ID:LBqt0Q/O
花子をレイプした男のこと。
明といいます。

私と血が繋がった祖父です。
明は地元の名家に生まれました。
明は、頭脳明晰、
誰もが惚れ惚れするような美男子でした。
明は裕福な家に養子に行きました。
そこで何人かの子供をもうけました。
(子供の何人かは戦争で死にました。)
五十代になり、気楽な金持ち旦那様に
なったところで、過ちをしました。
家を追い出されて、花子とも別れました。
忠志を抱えて、途方にくれていました。
花子の兄である太郎の家に忠志を
預けました。

86 :いち:04/02/18 22:55 ID:LBqt0Q/O
忠志は太郎の家の長男として迎えられました。
明は、お金を貰ってどこかへ行きました。
明は八十代になって癌になり、
余命が無いと気付きました。
明は、忠志に連絡しました。
明は、25歳ぐらいになっていました。
忠志が明と会うのは、2歳の時以来です。
明は、忠志に小遣いとして5000円を
やりました。忠志は苦笑いをしました。
明は、忠志に「これから私の面倒を
見てほしい。」と言いました。
忠志が憤っていると、その場にいた、
事情を知っているおばさんが、
明をしかりつけました。
その二人は、その後何回か面会しましたが、
明は死にました。
明の墓は、小さな石ころです。
かつての名家の墓地の
広い敷地の中央にちょこんと石ころがあります。
その周りは無縁仏の墓石ばかりです。
その敷地は手入れをしていないので、
竹やぶになりました。

87 :いち:04/02/18 22:56 ID:LBqt0Q/O
>>86
>明は、25歳ぐらいになっていました。
訂正
忠志は、25歳ぐらいになっていました。


88 :いち:04/02/18 23:12 ID:LBqt0Q/O
私が小さいころは疑問に思っていました。
実の祖父が、なんで竹やぶの
石ころの墓なのか、と。

太郎は、忠志を傷めつけて育てました。
太郎が、忠志の病気を治療しなかったために、
忠志は、持病を悪化させて一生苦しむ
ことになりました。
太郎は、むちゃくちゃ人間でしたが、
仕事は真面目にしていました。
しかし、太郎はすべての金を使いきりました。
太郎は、晩年癌になりました。
忠志は、太郎の看病をしてみとりました。

さて、
忠志は生き返りました。
忠志は、持病の手術もしました。
(その手術は、忠志が恐れていたので
必要性があったにもかかわらず、
していなかったのです。)
それは、脳の隣に膿が溜まる病気でした。
その膿を取り除きました。
すると、忠志は頭がすっきりして、
性格が穏やかになってギャンブルが
ぴたりと止まりました。
生死をさまよった教訓もあるでしょうが、
忠志は変わりました。
仕事を生き生きとするようになりました。

89 :変な毛布:04/02/18 23:35 ID:IO0chdZj
いちさん、横槍ごめんなさい。ずっと読んでます。

うちも似たようなことがあり、共感してしまう。もちろん、私はいちさんのような感受性や賢さは無いっぽいのだが。

90 : :04/02/18 23:53 ID:mwniPST2
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃    ∧ ∧___    今 日 は                     ┃
┃   /(*゚ー゚) /\                             ┃
┃ /| ̄∪∪ ̄|\/  こ こ ま で 読 み ま し た      ┃
┃   |        |/                             ┃
┃     ̄ ̄ ̄ ̄                     2ちゃんねる ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

91 :いち:04/02/19 01:00 ID:OhobCO8U
父親が生きているということが、
私は不思議でした。
父親が家に戻ってきて、
貧乏だけども、とりあえず穏やかな日々が
戻ってくると、私はまたあの嵐の日に
戻されはしないかと、ビクビクして、
疑って浮き足だっていました。
私がそんなことを考えていても、
父親が現に存在して、
私の前でご飯を食べているから、
それが現実なんだろう、と思うことにしました。
嵐の日は、遠い夢の日のように感じました。
それほど、非現実的な殺伐とした時間でした。
私の頭の中はずっとふわふわしたままでした。
過去と現在、どちらも現実とは思えなかったのです。

92 :いち:04/02/19 01:01 ID:OhobCO8U
父親は別人になりました。
雇い主の社長のことを悪く言っていたのをやめて、
雇ってもらってることが嬉しい、
仕事が出来ることが嬉しいと、言いました。
それは父親が生まれて初めて言う言葉でした。
父親は経験に基づいた言葉で、
人を納得させることもできました。
私が 異常 と感じた父親とは別人でした。
父親はどう見ても、 正常 でした。
私は頭が混乱してしまいました。
人間とはこうも別人になれるものかと
思いました。
でも、現に目の前で人間が変身したのです。
私は体験したことを信じます。
人間は変わるということを体感しました。
父親は
退院後には、入院前に勤めていた会社とは
違う会社に行きました。
それによりストレスが減っていました。

93 :いち:04/02/19 01:01 ID:OhobCO8U
そして、脳の隣の膿を取り去っています。
それらが、父親を変身させた要因かもしれません。
退院後、父親は働きたいといいました。
私たちは働くなといいました。
病人が働いて悪化すると困るからです。
しかし、父親は体がある程度動くようになると
働きはじめました。
父親は仕事中毒なのです。
父親は14の時から仕事をしているので、
仕事をしないと健康に暮せないのです。
休日に調子が悪くなり、
仕事の日には調子が良くなります。
体のサイクルがいつも仕事モードなのです。
父親はいやだいやだと言いながら仕事を
してないと生きていけない人なのです。

94 :_:04/02/19 09:22 ID:FtgsMM9t
1はまだかードンドコドーン!!!はよ書けー
結構おもしろいよ、出版すれば?

95 : :04/02/19 09:50 ID:pnU3Ga5N
大手出版社の文学賞に応募すれば編集者がアドバイスしてくれるんじゃ・・・。

96 : :04/02/19 10:28 ID:42gKFHYu
1さんたらおいしいところで切るなあ、
と、昔は爵位なんかもあったの?

97 :ありさ◇Q3RfOrNBGY :04/02/19 12:11 ID:LP62xqMh
あげ♪

98 :いち:04/02/19 19:56 ID:OhobCO8U
読んでくださってる方、ありがとうございます。


>>96
単なる百姓地主です。

99 :いち:04/02/19 20:35 ID:OhobCO8U
父親は、「もともとは」、
穏やかで優しい性格です。
馬鹿正直で、人柄がいいです。
粘り強くて、男らしいです。人に好かれます。
小さいことは言わなくて、人間が大きいです。
ただひとつ大きな欠点は、金のことです。

父親は、荒れた中年の時代とはうってかわって
若い時代の性格に戻りました。

私は小さいときは、父親のことが大好きだったんですが、
中高校生となるにつれ、父親が荒れてきて、
こんなとんでもない人間…、と
呆れて毛嫌いしていました。
私との約束は守らない、金使いで家族に迷惑を
かけるし、モノの言い方もむちゃくちゃでした。
遅く家に帰ってきて団欒もしなかったのです。
会話も少なかったです。
入院の件で、すでに限界を超えていました。

100 :いち:04/02/19 20:41 ID:OhobCO8U
私の心は冷え切っていました。
父親が死ぬと医者に言われたときは、
情が戻ってきて泣きましたが、
そのとき以外は、通常の「単なる同居人」という
よそよそしい意識しかありませんでした。
そんなよそよそしい意識になったのは、
私が冷たい人間なのではなく、
冷たいエピソードしか積み重なっていなかったから
当然の心の動きだったのです。

家族が増えると、感覚が違います。
いつもの家族の人数で暮していると、
平凡な日常という感覚がもどってきて
嘘のように感じていました。
日常は何ヶ月も続きました。
父親が倒れることはあったけども、
おおごとにはなりませんでした。

ある日、みんなでラーメンを食べにいきました。
家族でラーメンを食べるのが父親の
一番の幸せなんです。
私の前で、父親がラーメンをすすっていました。
内臓がぐちゃぐちゃで死にそうだった人が、
金を稼げるようになって、
車を運転して、家族をここまで運んで、
ラーメンを内臓に入れているのです。
にこにこしながら食べているのです。

101 :いち:04/02/19 20:54 ID:OhobCO8U
そのとき、私の頭に、
「愚か」という言葉が浮かびました。

深夜になってから、
「私は愚かだった。」と私は母に言いました。
母も「私は愚かだった。」と言いました。
母と私は、死ねばいいのに…と話したことが
あるのです。

無知で価値を知らずに、父親に死んでほしいと
思っていたことが、実際にあったことです。
私の頭には空洞ができていたのか。
過去の私がどうしょうもなく愚かだと感じていました。
過去の私は追い詰められて泣いていました。
かわいそうな私でした。過去の私を責めることは
できません、十分に頑張っていたからです。

でも、目の前で
父親がラーメンを食べて嬉しそうにしている
のを見ていると、温かさが伝わってくると、
強烈になんて馬鹿なことを言ってしまったんだろうか!と
自分の無知が見えてきました。

サラ金のお兄さんが危篤の時に来ても、
それでも…信じないといけないことはあったのです。
価値を忘れてはいけなかったんです。

私は泣きました。

102 :いち:04/02/19 21:10 ID:OhobCO8U
レイプで父親は生まれました。
父親の心の痛みを、
私は想像することができません。

レイプが無かったら私がいなかったと
思うと、…
まぁ、私にはどうでもいいことです。
私が生まれることが運命だったのでしょう。

父親は、弟の大介と妹の真理子の面倒をみてきました。
特に年の離れた真理子の親代わりをしてきました。
妻の美智子が死にかけているときに、
父親が現われて面倒を見て、美智子は助かりました。
そして、私と妹が生まれました。

父親がいることにより、
真理子、美智子、私、妹 と、四人の女性の
命が生きています。

父親は望まれない子供だったのですが、
四人の女性を、生かしました。

103 :いち:04/02/19 21:20 ID:OhobCO8U
大介は、都会に出て勤め上げて安泰な生活を
モノにしました。
大介はやさしい性格で顔立ちがいいです。
情熱家の気が強い女性が大介にアタックして
結婚しました。

真理子は頭が弱いけれども、性格は素直で
人に好かれます。
結婚して幸せになりました。

お化け屋敷の一族は、どの人も、
人柄がいいです。
それが、この一族が昔、平穏な暮らしをしていた
金持ちだったことの名残です。

それと、もう一つの名残は
地元でのみ通用するこの名家の姓です。

田んぼも屋敷もなくなりました。

104 :20さい@死しか見えない:04/02/23 20:59 ID:1Yx+C2ju
続きマダー(・∀・ )っ/凵 ⌒☆チン

105 : :04/02/23 21:05 ID:Di7DUoJE
1さんは書いてる途中で悔しさとどーせ2chという馬鹿らしさから
やめたっぽいけど、続き読みたかったなあ

106 :20さい@死しか見えない:04/02/23 21:08 ID:1Yx+C2ju
じゃあ俺もなんかかこっかな。。。。
ま、期待はしないでね。どうせ20歳の薄っぺらな人生だから。

107 :いち:04/02/23 22:09 ID:0eJ8DWLI
みなさん、すみません。
ちょっと休んでました。
続き書きますね。

108 :いち:04/02/23 22:25 ID:0eJ8DWLI
ここから、少し過去の話に戻ります。
私が就職したのが、七年前のことです。
父親が入院したのが、その1〜2年後です。

十八歳の私が、就職しました。
会社は、地域に密着した
金融・保険・商品販売などいろいろなことを
手がける中小企業でした。
ただし、全国ネットワークで倒産しない
仕組みでしたから、中小企業よりは上でしょうか。
みんなが知っている企業です。
こんなことを書くと、特定されてしまうでしょうが。

その企業は、昔はとても羽振りが良いことで
有名でしたので、
今でも、その企業に勤めていると、「公務員?」と
間違われます。

109 :いち:04/02/23 22:34 ID:0eJ8DWLI
就職して、3ヶ月で私は辞めたくなりました。
その理由は、
事務職兼、少しの営業活動と募集にありましたが、
実際は、営業の仕事だったからです。
まぁ、一年ぐらいは社会を覗いて辞めるのは
それからでも良いと私は考えました。

3ヶ月目で感じた気持ちは、正しいものでした。
その気持ちはずっとその後も正しかったのです。
私が根性がないから辞めたかったのではありません。
私は根気と根性は人よりあるほうです。
その職場がしている仕事は想像以上に
不真面目で無茶苦茶なものでした。
中小企業の今どきの営業マンというものは、
酷い環境で仕事をしないといけないと
いうのもありました。
営業の仕事をちょっとしてみようかな…と考えて
いた私が甘い子供だったのでしょうね。

110 :いち:04/02/23 22:45 ID:0eJ8DWLI
最初のころは仕事の大半が事務でした。
基本的なことが出来ないから、苦労しました。
話し方、電話のしかた、段取りのしかた。
十八歳だというのに、赤ちゃんのような
ことしか出来ませんでした。
頭でぐるぐる勉強して、テストをして…と
いう日常だったから、手を動かしたり、
モノを言ったりすることがまったく
出来なかったんです。
同僚は、頭が黄色い遊んでる子でした。
その子のほうが、仕事が出来ました。
仕事の半分が接客業でしたから、
遊びなれている子が向いていました。
私は貧乏で、勉強ばかりして、遊ぶなんてこと
考えもつかないみすぼらしい子でした。
すこし上の先輩は、
色気があってものすごいもてていました。
ブランドの話をしたりして、別世界の人でした。
しかし、先輩はやさしくておっとりしていましたから、
ぼーっとしている私と基本的な部分は似ていました。

111 :いち:04/02/23 22:55 ID:0eJ8DWLI
私は誰かと私を比べることはありませんでした。
私はどんなに頑張ったところで
みすぼらしいものからは抜けられないから、
私は社会的に通用できないと
子供のころから身にしみていました。
誰かと私とを比べて傷つくことはありませんでした。
私は、絵を描く事が好きです。
その趣味で気が合う友達がいました。
そして、私は本を読むのが好きです。
真理を考えたり、芸術家ぶってみたりすることが
好きですから、
それが、自分の本当の姿だという誇りがありました。
比べることもなく、誇りもありました。
精神的には自立した子供だったのです。

飲み会で、チャパツの同僚がちやほやされていました。
私は輪の外にいました。
私はそういうおべっかのようなものが
大嫌いでした。
そのような程度の低い会合で、孤独でも、
かまわない、関係ない。と思っていました。
私は誠実なものが大好きでした。

112 :いち:04/02/23 23:02 ID:0eJ8DWLI
同僚が「ちやほやされたい〜」とか、
「夜遊ばなきゃ」とか言いました。
同僚は黄色い髪でした。

私の父親が癌で、ローンなどを担いで
心配事が山積みのときでした。
毎日、日記を書いて、自分の考えを書いて、
精神的に大人にならないと、と
あがいていたときでした。

私は、同僚を見下しませんでした。
遠い世界の人に見えました。
うらやましくも見えました。
私のほうが下の生活をしていました。

113 :いち:04/02/23 23:23 ID:0eJ8DWLI
会社の上の組織の人が会社にきました。
うちの会社は、保険代理店のようなことを
していて、その保険の収入がないと
存続できないのです。
上の組織の人は保険を作ったり
管理したりします。
うちの会社が営業して契約を取ってきたら、
その何パーセントかをピンはねするのです。
上組織の人が、
「去年も厳しい中、ありがとうございます。
今年もセールスを頑張ってください。」と
軽く言って帰りました。
セールスの現場は熾烈なものです。
お金持ちで学歴があれば、上の組織のような
ところに就職できて、人を軽く使えばいいのです。
上の組織の人は人柄がよいです。
うちの会社の人は契約一件とるのに、胃をいためて、
命を縮めるぐらいがんばります。
お金の計算を少しでも間違えると、お客に怒鳴られます。
徹底した数字主義で、みんなの前で晒し者に
なりながら、怒られるセールスマンもいます。

114 :いち:04/02/25 22:31 ID:9jacMcgj
会社の業績は、下降線でした。
経営者はそれに対して何も手を打ちませんでした。
お飾りの経営者だったからです。
そこらで断られまくっても、
嫌がられても保険の営業にまわるというのは、
典型的なDQN会社がすることです。
会社は昔なじみの良いお客さんをたくさん
掴んでいましたが、だんだん
減っていきました。
お客さんの中心がお年よりだったので、
だんだん減っていって、若者には見向きも
されません。
経営者や上部組織グループは
若者に対して魅力的な商品を開発しようとは
しませんでした。
そうすると、ますます利益が上がりにくくなって
もっと強烈な新規開拓に走らなければならないのです。
そうすると、ますますお客に嫌われて、利益が
下がるという悪循環です。

115 :いち:04/02/25 22:38 ID:9jacMcgj
もともと、保険は補助商品でした。
それが主力商品になってきて、
その会社は保険会社になっていました。
私が就職したときは、既に、
保険会社だったのです。
会社はその他にも、商品を販売していました。
昔は、食品とか、生活必需品だったのが、
高級紳士服や高級健康器具、高級着物、
浄水器と、儲けを優先とした品揃えになっていました。
社員一人頭に、ノルマが課せられていました。
それは女性も例外ではなかったのです。
その会社は古い体質だったのです。
昔なじみのお客さんや地縁・血縁で
コネという名目で無理やり頼み込んで
モノを買ってもらう。
それができなければ、自分で買うと、いった
ことがまかり通っていました。

116 :いち:04/02/25 22:46 ID:9jacMcgj
保険や高級商品のノルマをかぶせられて、
ほとんどの社員は、そのノルマを消化できません。
結局、自分で買います。
それを自爆と呼びます。
ほとんどの社員はほとんどのノルマを自爆しました。
会社は時代に乗ろうという、方針転換を
するわけでもなく、社外ではなく、社内の人間に
モノを売りつけて、存続していたのです。
それでも、業績は下降線でした。
30代以上の社員は地縁のコネで採用された
金持ちの子供が多かったので、
自爆によって給料の大半が消えても
生活をしていけました。
家賃収入や農作物で、生活費がほとんどいらない
人たちばかりでした。
地縁血縁のコネによって、親戚に嫌われながら
生きていくことができました。
私のような貧乏家庭の子供なんかおよびじゃ
なかったんです。
私はその職場を最初から諦めていました。
少しでも社会勉強をして賢くならなければと
いうのが私の目標でした。

117 :いち:04/02/25 22:55 ID:9jacMcgj
若い男性が専属営業マンになっては、
辞めていきました。
若い女性は続々と辞めていきました。
30代はほとんどいない空白になりました。
50代あたりは、そんなに利益を上げないのに、
昔からの名残で給料だけものすごい
もらって経営を圧迫しながら、居座っていました。
経営者がお飾りなので、経営が傾いていっても
リストラできなかったのです。

私の父親が入院している間だけは
私が生活を支えないといけないと思って、
必死に頑張りました。
お客さんにダニのように嫌われながらも、
ばたばたと走り回りました。
こんなことが長く続くとは考えていませんでした。
頑張っても頑張っても、
こなせないようなノルマを次から次へと被せられました。
自爆も増えていって、給料は減りに減っていきました。
いろいろ引くと、何も残りませんでした。
私の小遣いは、0円になりました。
小遣いといっても、私は服など買いませんし、
旅行にも行きませんし、修行僧のような生活でした。
マンガとCDとおやつを買うぐらいのものでした。
少しだけ貯金していたので、それを
小遣いにあてていきました。

118 :いち:04/02/25 23:04 ID:9jacMcgj
フリーターの人たちより酷い生活をしていました。
しかし、私は会社のことを諦めていましたから、
絶望はありませんでした。
私は健康だけは守らないと、と思っていましたから、
それだけで、次のステップに軽々といけるという
自信がありました。

酷いノルマがある以外は、その仕事場は
そんなに悪いところではありませんでした。
忙しいわけでもないし、まったりと仕事をしていれば
いいし、営業や接客で社会勉強は充分にできました。
ボンボン上司のとりえは人柄が良いことだけでした。
いじめなんかはありませんでした。
人間関係も良かったです。
しかし、
前向きな希望を持っているかぎり、
そこにはいられませんでした。

119 :いち:04/02/25 23:14 ID:9jacMcgj
お金持ちの社員のつきそいとして
お金持ちのお客さんの家にセールスに行きます。
そこで、見たこと感じたことは、私のような
貧乏人の世界とはまったく違った世界でした。
田舎の保守的で穏やかな大地主の家に
たくさんいきました。
私の先祖が住んでいた近所にも
セールスに行きました。
私の姓と同じ家に行きました。
そこは、遠い遠い親戚かもしれません。
私の姓を聞いて、「地元の人?」と聞かれました。
私は「はい。」と言いました。
「どんな親戚がいるの?」と聞かれました。
私は、「さぁ?昔のことなので、知りません。」と
言いました。
私の父親がこの近所のお化け屋敷に住んでいました、
なぞいえません。
父親には口止めをされていました。
私たちがあの大貧乏一族だと知れたら、
ひどい扱いを受けるから、と。

120 :いち:04/02/25 23:22 ID:9jacMcgj
父親がお化け屋敷に住んでいたころ、
近所の人たちからは、ばい菌扱いをされて
いたそうです。
それも、そのはずです。
私でも、そんな家があったら、イヤーと言います。
昔住んでいた公営住宅の近くにお化け屋敷のような
ところがあって、おっさんが一人住んでいました。
私たちは、その前をとおりたくありませんでした。

私は、同僚たちやお客さんに、
自分の先祖のことを隠さなければならなかったのです。
保守的な金持ちの社員が多い社内では、
自分の先祖や親戚のことは、まず第一の話題でした。
そこからコネが始まるからです。
先祖がエライ人だったとか言って、自分の
身分を宣伝するのです。
それは、社内社外問わず、宣伝します。
それが、その人の信用になります。
田舎の町では、姓が強いのです。
新入りや同僚で、地元の出でない人たちは、
肩身が狭く、辞めていく人たちもその人たちでした。

121 :いち:04/02/25 23:31 ID:9jacMcgj
ある年、採用を全部コネに切り替えました。
ある新入社員が、
「●●じいさんが、私のおじいさんです。」と
まず、自己紹介を始めました。
自己紹介で、
自分の名前より前に、おじいさんの名前を
言ったのです。
私は内心大笑いでした。
この会社の特色をものすごくあらわしていたからです。

大地主の県職員の子供がコネで採用されました。
チャパツで、入社式に来なかったのに、
おとがめなしです。
初出勤もチャパツです。
上司が怒りました。でも、採用されました。
その大地主は、上得意さまだったからです。
その大地主が加入している保険は
年で、400万掛けていました。
新入社員の年収は350万のはずでした。

122 :いち:04/02/25 23:42 ID:9jacMcgj
コネに切り替わってからは、
新入社員が大卒とか大学院卒とか
ばかりでした。
みんな性格がおだやかでした。
(入社してから人相がするどくなるのですけども。)
こんな人たちが、こんな職場しかないというのは、
日本も終わったな、という感じです。
ここを選んだその人たちも馬鹿なのでしょうが。

金持ちの地主様にへいこら頭をさげながら、
大卒の後輩に指示を出しながら、
この、高卒の私が。
お金で動いている日本という不公平さを
身にあびるように感じていました。
先輩の女性はタバコを吸ったりして
うさを晴らしていました。
私もグレそうになりながらも、グレたら
負けるような気がして、なんとしてでも、
礼儀正しい人になってやる、と思いました。
タバコには手をだしませんでした。
一時、酒びたりになっていましたが、
それもやめました。

123 :いち:04/02/25 23:52 ID:9jacMcgj
酒びたりになったのは、ストレスからです。
朝から晩までやっても、ノルマばかりだったからです。
最悪時には、
顔全体にぶつぶつができました。
そして、髪が抜け落ちていきました。
体重は5`減りました。
私は、この会社にしがみつけるだけ
しがみついて、貯金をしてから辞めようと思いました。
(しがみつくといっても、1-2年の程度です。)
仕事の半分は事務をしていました。
職場は禁煙ではなかったので、すい放題です。
周りから煙がもうもうと来て、仕事になりませんでした。
私は、席を離れて仕事をしたりと、
なるべく避けました。
しかし、痰が止まらなくなりました。
禁煙を女の上司が訴えても、却下されました。
禁煙の考えさえない、ノルマ主義の余裕のない
社内でした。

124 :いち:04/02/25 23:57 ID:9jacMcgj
同僚の女性が妊婦になりながら、
仕事をしていました。
私は、こんな環境では子供を妊娠することは
できないと思いました。
ストレスやタバコの毒がすべて子供に行くような
気がしました。
ほとんどの女の先輩は結婚する前に
辞めていきました。
入社から3年ほど経ったとき、
やっと父親の状態が安定しました。
生活も安定してきました。
私はほっとしました。
あとは、貯金をしながらの持久戦だと思いました。

125 :いち:04/02/26 00:07 ID:THcxOGSB
私は、今後の人生で、この会社とは
関わっていきたくないと決意していました。
どんなに貧乏でも、地道な職業を
生活の基盤にしたいと私は考えていました。
貧乏な私の長所は地道さと堅実さと
節約だけでした。

支店のノルマがまったく達成できないので、
最後の追い込みに入りました。
人のいいお客さんに泣き落とし作戦でした。
保険というのは、マイホームを買うのと同じぐらいの
大きな買い物です。
それを決意されるのは容易ではありません。
人のいいお客さんの持っている大きな保険を
今の時代の保険に書き換えるのです。
保障は大きくなり、掛け金は安くなるのですが、
貯金の部分が大幅に減ってしまうのです。
お客には大きなリスクがある契約です。
それを頼みこむのです。
人のいいお客さんの貯金を削るような仕事です。
それを、説明するのですが、
お客さんには、くわしいことは理解できません。
詐欺すれすれの商売です。
こんなことをたくさんたくさんやって
利益を上げてノルマ達成だーと喜んでいました。

126 :いち:04/02/26 00:15 ID:THcxOGSB
人のいいお客さんは独身の女性でした。
若いころ必死に働いて定年まで
勤めあげた人です。
人恋しくて、人と話がしたい人です。

私は、最初のころは言われるまま、
サポートの仕事をしていましたが、
会社のやっていることとはいえ、疑問でした。

社員が生きていくためには、
数字をとらないといけないのはわかります。
この会社と私とでは、行く道が全然違うと
私は思いました。

私は一年一年、皮がむけるような気がしていました。
それは、私が目に見えて精神的に成長している
ということです。
別人になっていくようでした。
自分でもわかるぐらいだから、ものすごいものでした。
そして、ものすごいストレスと胃に負担が
かかっていました。
これは続けられないと思っていました。
私は比較的ぼーっとした子供でした。
その私が、しゃきっとした平均点に達していました。

127 :いち:04/02/26 00:22 ID:THcxOGSB
いくらしゃきっとした女性になれたからといって
地味な人生を馬鹿にはできません。
地味な人を馬鹿にはできません。
こんなに社会勉強できる環境を私が捨てても、
もっと大事なものがあると私は思いました。
それは、良心を責められない仕事とか、節約や
堅実さです。
私の本質は貧乏なみすぼらしい女の子です。

私は、黒髪のショートカットで、スーツを
ピシッと着て、きちっと礼が出来る人に
なりつつありました。
グレていません。酒もタバコもしません。
前向きで希望をもち、笑っていました。

同僚のように、黄色の髪をダラダラと伸ばし、
間延びした喋り方で、
ずっと人を騙す職業に
ついていたくはありません。

128 :いち:04/02/26 00:33 ID:THcxOGSB
※この文章を書くのに、ものすごい
 エネルギーがいります。
 私は、自分のことを誉めて、人を見下す
 つもりはありません。
 私は人より下の世界に住む者だからです。
 人と私は比べられないと思っています。

昔、私が5歳の時でした。
父親がまったく仕事をせずに、
鬱になって寝込んでしまいました。
本当に食べるものに困りました。(らしいです。)
私は保育園のお昼ご飯を食べて栄養をとっていた
らしいです。
家では、ご飯ほんの少しと、卵焼きしか
食べさせてもらえなかったです。
母親はほとんど何も食べていませんでした。
その時は、妹が生まれてすぐでしたから、
母親は体が動かなかったのに。
その何年かは父親は私たちを見捨てていました。
というか、父親はそれどころではなかったのでしょう。
私はたまに小遣いとして、50円をもらいました。
その50円を握って、駄菓子屋に行きました。
5円チョコと丸飴とチロルチョコと。
少ないお金で満ち足りたおやつでした。

129 :いち:04/02/26 00:39 ID:THcxOGSB
私のお金の価値観はそのときできました。
たくさんの種類のお金がありますが、
50円が一番、上位に思えます。
50円を手に握った感触がいつまでも、
私の価値観の中心にあります。

私は何千万もの伝票を切りました。
何百万ものお客のお金を扱いました。
朝は、いつも、私の隣に
こんもり札束の山がありました。
2-3億でしょうか。
その札束を見ても私は何も感じません。
50円を見たら、私は反応します。

ホントに貧乏性です。

千円や一万円をパッと買い物で使うことがありました。
そのときでも、いつでも、
その50円は私の心の中にありました。

私が月一万以下の小遣いでやっていると
みんなに言うと、みんなは驚いていました。

130 : :04/02/27 23:24 ID:kILVZduW
このスレはなんか違うんですよね、今まで駄スレばっか見てきた性で
このスレはなんか違うんですよね。

131 :いち:04/02/28 00:39 ID:jS87F/Tc
会社の事務所にずっといると、
いろんな人が必死になってセールスにきました。

事務用品の会社の人は、
何人も辞めました。
転職して、また違うモノを売りにきました。
人がめまぐるしく変わっていきました。

モノがほとんど売れなくなっていった、
バブル崩壊後の時代ですから、
私の会社でも、まだマシな取引先だったのでしょう。
倒産せずに存続しているだけでマシだったのでしょう。

殺伐とした日本経済の風を直に
身に受けているようでした。

パソコンがじょじょに普及してきて、
仕事の量がどっと減ったのに、
私の仕事の量は増えました。
上司がほとんどパソコンを使えなかったのです。
私の課は私が動かしているようなものでした。
だからといって、私がやり手とは
思えませんでした。
なぜなら、
事務という仕事は誰にでも出来る
仕事には違いありません。
(いい仕事は、やっぱり素人には出来ませんが。)
そして、これから事務の仕事は
数的に無くなる一方だからです。

132 :いち:04/02/28 00:40 ID:jS87F/Tc
私のいちばん上の上司は、
頭が切れる人でしたが、
年齢ゆえにリストラ対象でした。

事務員としていくらやり手になれた
ところで、いくら頭が切れたところで、
年寄りということだけで、
人間の価値は落ちると会社に言われて
いるようなものです。
まして、女事務員は、
少々馬鹿でも、若い女の子のほうが
好まれます。
この会社では私という人間を
生かしてくれないのです。
私はこの会社を選んではいけないのです。

133 :いち:04/02/28 00:49 ID:jS87F/Tc
私がここで働きつづけるとダメな人間に
なると思いました。
これからの大不況時代へいくのに、
最低限の仕事のスキルさえ身につかないと
思いました。

私は営業員もしました。
主にお得意さんを中心として回ります。
お金を持っているお年よりが中心です。

車を乗り回して、玄関先まで行きます。

若い人は昼間ほとんど家にいません。
いたとしても、忙しくて話も聞いてもらえません。
訪問販売というものを、100%嫌っています。
それは私も同じです。
通信か、店頭販売という、時代の流れの販売方法を
中心にせずに、昔ながらの訪問販売を
だらだらとわが社は続けていたのです。

中年の奥さんは、ある程度話をしてくれます。
ほとんどがお金持ちの暇な専業主婦です。
貧乏主婦は、いそがしくて話をしてくれません。
借家なんかに行くと、ほとんど共働きで
家に人がいません。

お年よりは話をしてくれるのですが、
頭がはっきりしてないので、困ります。

134 :いち:04/02/28 00:56 ID:jS87F/Tc
お金持ちの専業主婦のでかい態度には、
この日本には人権が無いのか、と疑います。
おじさんのエラそうな人には、
ほとんど慣れっこなのですが、
女性の偉そうな人はどうしてもダメです。

集金に行ったとき、
あるおばあさんが、玄関先で三つ指をついて、
おじぎをしてくれました。
私は、恐れ入ってしまいました。
戦中の人たちは、このような礼儀作法を
しっかり習っていたのでしょう。

今の若い人たちのなんと、世間知らずで
礼儀しらずなことか。
お年よりの礼儀の平均と、
若者(中年も含む)の礼儀の平均は、
ケタ違いだと感じます。
これは、教育のせいでしょう。

営業員が
いろいろな人間のアクの強いものに、
触れていると、顔つきが鋭くなります。
数字を背負って頑張っていると、
押しが強くなって、細かい気遣いができなくなります。
自分にいつも、圧力をかけて頑張らせて
いるので、人に対しても圧力的になります。

135 :いち:04/02/28 01:05 ID:jS87F/Tc
悪い人間と良い人間を一発で
見分けることができるようになります。
頑張り屋で強くやさしくなれますが、
胃が痛くなってきます。

男性社員の人のいい人は辞めていきました。
ある程度ゴリ押し営業ができなければ
数字があがらなかったからです。

お客さんは、いろんな人がいたのですが、
普通の人がほとんどでした。
先輩社員のほうが、アクが強くて個性的で
近寄りがたい人が多かった。
それだけ、厳しい仕事をしていると
優しい普通の人ではいられないと
いうことなのでしょう。

136 :いち:04/02/28 01:11 ID:jS87F/Tc
口がグルグルまわって、間をおかずに
喋るような先輩社員は、苦手です。
口で商売をしてるから、口が動くのでしょうが、
その人に対して信頼がおけません。
信頼がおけないような仕事人に
私はなりたくありませんでした。

団塊の社員は、過去の良い時代から、
ずっといい給料をもらってきました。
そして、もう少しだけしがみついていれば、
一生がなんとかなるから、それで
いいのでしょう。

若い人たちは、社員として存在することが
難しいほど、猛烈営業マンにならなければ
なりませんでした。
ほとんどの若い人が辞めていきます。

それほど、待遇が違うのです。

うちの会社は一般的な会社だと思います。
それが、このザマです。
他の会社はどんな状態なのか想像がつきません。
仕事人が生きていくのに、
日本の環境は悪すぎます。

137 : :04/03/05 22:16 ID:PPSSCuAx
続き読みたいage

138 : :04/03/06 00:56 ID:AiLrLCxg
…何が言いたいのかサッパリ分からん。

139 :いち:04/03/06 01:46 ID:V3O4wo7N
上司や先輩たちは、資産家の人ばかりでした。
(そうでなければ、自爆に耐えられないのですが。)
新入社員は、コネで入ってくるので、
一定レベル以上の資産がありました。
私の前後の同僚だけに、貧乏家庭の人が
いました。
私は持ち家であることが、唯一の有利な点です。
先輩たちは、食費には困りません。
私は、50円を基本とした節約精神があります。
給料がどんどん引かれていくのが、
苦痛でたまりませんでした。
借家の同僚の生活は本当に苦しそうでした。
ある月は、手取り15万で、掛け金15万でした。
貯金で生活をまわしていました。
フリーターなら、仕事は比較的責任がないし、
手取りも今より多い。
フリーター以下の待遇でした。

140 :いち:04/03/06 01:53 ID:V3O4wo7N
私はやめたくてたまりませんでした。
夫婦で社員をやっている人たちがいましたが、
その人たちは、どちらも資産家でした。
この会社を基盤として生活を
今後していくわけにはいかないと私は
いつも思っていました。
また、
もし、私がここの会社の
資産家と結婚したとして、
こんな収支がいつもついてまわるというのは
節約を基本としている私にとっては
耐えられないことが想像できました。

先輩と同僚など、資産家は
しゃべる内容が私とはレベルが違う
贅沢さでした。
遊びは毎回行くし、仕事場でもコネということで
大目にみてもらって優遇されていました。
貧乏家庭の社員は、軽く扱われていました。

この日本は、お金の価値で人間の価値が
決まっていると私は思いました。

141 :いち:04/03/06 01:59 ID:V3O4wo7N
いえ、そんなDQN会社にしかいけなかった私が
全部悪いと言えばそうなのですが、
進学資金が足りなかったので
そんなDQN会社しかなかったのです。
結局貧乏人には、この日本では
選択の余地なく、悪待遇で働くしかないと
いうことです。
自由、平等とはいいますが、
スタートラインさえ違うということです。
今の私はそんな社会的不公平について
どうとも思わないのですが、
若い私は、ショックを受けました。
私は女で若い貧乏ということで、いつも
軽くあしらわれる立場にいました。
私はなんでもいいから、必死に吸収して
学ぼうという姿勢でした。
軽く扱われることについて
お金をもらっているから、別にどうってこと
なかったのですが、
3年も4年も、総合的な悪環境にいると
目つきがするどくなり、人の心を軽くあつかう
ような人間になっていきました。
どうってことない、と思っていたのですが、
そんな無理を重ねていると、無理が
出てくるものです。

142 :いち:04/03/06 02:07 ID:V3O4wo7N
私は気が強い人間になっていました。
家族に強く当たるようになっていました。
ローンを払ってやってるんだ、と
驕りがありました。
人の弱点をつく人間になっていました。
人の幸福を喜べない人間になっていました。
荒々しい言葉をつかっていました。
今考えると、とんでもない人間になっていました。
私は、そのとき、頭のどこかで
「これは間違っている。」と思っていました。

保険の契約を自分の都合のいい
契約に変えて、事務所に帰るとほめられて
お金をもらえます。
私は、一人でセールスに歩くようになりました。
とても人のよいおばあさんに会いました。
私を気に入ってくれて、取引をはじめてくれました。
家のお金関係を一手に引き受けさせてくれました。

その人の笑顔が頭の隅に浮かぶと、
「私の仕事やこの会社は間違っている」と
強烈に思いました。
その何週間か後に、私は退職届けを出しました。

143 :いち:04/03/06 02:11 ID:V3O4wo7N
私を変えてくれたそのお客さんのように
私もなりたいと思いました。
私と会う人を幸せにしてあげたいと
思いました。

人間の価値はお金だと半ば思い込んでいたの
ですが、そのお客さんがきっかけで
私は気づきました。

私はいままで社会に迷惑をかけたから、
少しでもよいことをしようと思いました。
そして、小さなことから一日一善をはじめました。

144 :いち:04/03/06 02:22 ID:V3O4wo7N
私は、華やかな話にはついていけませんでした。
話の中心にはいませんでした。
自動的に、おとなしくなりました。

おとなしい地味な無口な人と思われて
いました。
実際は、気が強くて不満をためた女でした。
生まれてからずっと、みすぼらしい女の子と
して、大勢の中で扱われていました。
(家族には大切にされていましたが。)
そのことについて
一部、達観していたのですが、
やっぱり、心はそんなに素直ではなくて、
いろいろなエピソードが重なるにつれ
私は、なんでそんなふうにしか
扱われないのか、と
強烈に重く思っていました。
私の顔は、美人でもありませんが、
ブサイクでもありません。
情熱家で競争心があったので、
ますます、強烈に不満が増していました。
今考えても当然の心の動きでした。

145 :いち:04/03/06 02:29 ID:V3O4wo7N
大卒の同僚には何の感情も抱きませんでした。
人に対して嫉妬はありませんでした。

ただ、
自分の環境や待遇やいままでのことや
貧乏なことが、とても憎らしく思っていました。
なにも知らない学生のころは、
そんなことは考えませんでしたが、
大人になって社会をみると、強烈に自分の立場が
恵まれていないことに気づきました。

その憎しみの感情を誰にぶつけることも
できずにいました。
その感情を持っていると、幸せになれないことが
わかっていても、感情が吹き出るので、
苦しみました。

節約や貧乏ならではの、いろいろな楽しいエピソードは
大好きでしたが。

146 :いち:04/03/06 02:42 ID:V3O4wo7N
ある日、職場の電気工事のために
業者の人がたくさん来ました。

私の父親はそういう現場の作業をしていました。
私は父親の仕事をする姿をあまり
見たことがありません。

私は脚立にあがった業者さんを見上げながら、
父親ならこんな仕事をしただろうな、と
思っていました。
業者さんはチームワークでこなしていきました。

そのときは、父親は入院していました。

私は涙が出てきました。
この業者さんのように
気を使って一つ一つ作業をしていって
そのお金で私を育ててくれたんだな、と
思いました。

私は、貧乏なことを恨んでいましたが、
そのとき、やっと父親を許せました。
私が稼ぎが足りない父親を「許す」と表現する
こと自体、傲慢なんですが。

147 :いち:04/03/06 02:51 ID:V3O4wo7N
貧乏であることを受け入れることは
できないにしても、
私は違う価値を見つけました。

入社したとき、上司の手が、どの人も
白くて綺麗でした。びっくりしました。
父親が現場の仕事なので
男の人の手はごつごつしていて黒いものだと
私は思っていました。

私の父親がお金を財布から盗むので、
父親をしかりつけて、
その次の日、私が仕事に行くと、
上司は一生懸命仕事をしていました。
どのお父さんも立派でした。
私のお父さんだけ、子供に迷惑をかける
とんでもない父親だな…と
私は悲しく思っていました。
上司のことを、
この人が私のお父さんでもいいし、
この人でもいい。と私は思っていました。

148 : :04/03/06 09:36 ID:ACspj9uO
花田少年史

149 : :04/03/10 20:55 ID:bvinY2Vn
再び読みたいage


150 :いち:04/03/19 23:21 ID:Nquan8wU
入社当時、ほとんどの周りの男性は、地味な私を
ほっといて他の女性をちやほやしていました。
中には、
私がぶりっこをしないから、いい、とか
言ってくれる男性もいました。
私が、おとなしいけども強い思いを
抱いていることを知っている男性も
少数いました。
男性は馬鹿ばかりではないんだなと
思いました。

ちやほやされていた女性が結婚してしまうと、
ちやほやしていた男性は、
私ににこにこして来ましたが、
そういう人間だと知っているから、しらけていました。

うわさで、私のことを好きらしい男性が
何人かいました。が、私に
積極的に話かけてくることはありませんでした。
私を好きになるような地味な男性はシャイでした。
私は、それを悪いこととは思いませんが、
やっぱり自分の思ってることははっきりいえるように
ならないといけないと、私はそれを見て学びました。


151 :いち:04/03/19 23:30 ID:Nquan8wU
私が、お兄さんのように思う男性は
多数いましたが、
誰かが、私のことを好きだと
私が暗に知っていても、
私がほれ込むようなことはありませんでした。

私はほれ込めば、自分からいきますが、
(友達づきあいはそういうやり方です)
待っているような男性を迎えにいく気には
なりませんでした。

この悪い会社の環境に依存して
つぶされるような弱い人とは、
将来を一緒にしたくないと私は考えていました。

稼ぎは悪くてもいいから、
前向きな人と一緒にいたいというのが
私の希望です。
それは、私にいつも突きつけている教訓でもあります。
いつも前向きにまじめに取り組むということが
私には大切なことなのです。

152 :一人の名無し:04/03/20 12:39 ID:99J5L1w2
いちさん

良いお話ありがとう。
横レスですいませんが、私の故祖父について書きたいと思います。(スレ違いスマソ)
私の祖父は神田の裕福な質屋の長男(明治の男)として生まれました。
子供の頃はオンブ日傘で育ったらしいのですが、祖父の父親が根っからの道楽者・・・・
身代を潰し、祖父は小学校卒業後すぐ丁稚奉公にやられました。
祖父はその齢で既に一家の家計を支えなければならない立場になってしまったのです。
正に天国と地獄を味わったとの事です。金持ちを知っていただけに貧乏になった
時の落差は幼い身には堪えた事だったと思います。
祖父は旧大倉財閥系の書店に丁稚として奉公生活を始めたとの事です。
祖父は独学で英語を学び(洋書も取り扱っていた書店だそうです)、当時大卒の
人くらいしか分からなかった英語(読み書きだけですが)を使いこなしていたそうです。
私の父や父の姉妹が中学高校時代は祖父から英語を教わっていたそうです。


153 :一人の名無し:04/03/20 12:41 ID:99J5L1w2
続きです

祖父の苦労話は孫である私は詳しくは知りません。又、過去を語る人でもありませんでした。
ただ、家の中ではいつも無口でムスッとしていた記憶があります。
祖父の笑顔の記憶は殆どありません。孫ながら何か怖い人でしたね・・小遣い貰った記憶も無いし・・w
話が反れました。話を戻すと、祖父は関東大震災を乗り切り、遂には支店長になったそうです。
また、戦争(徴兵検査不合格)の時には言論統制の仕事をしていたそうです。
(会社を何時辞めたのかは知りません)終戦後、祖父は言論統制の件でC級戦犯にも
なったそうです。その後、祖父は自営業を始め、質屋の頃とまではいかないまでも
立派に家を再興いたしました。地元では町会長職を20余年も務め上げ、名士にもなりました。
孫の私としては、あんな女癖の悪いジイサンが名士というのも???ですが・・・w
そんな祖父も私が工房の時、天寿を全うし幸せに逝きました。祖父は満足な一生だったでしょう。
葬式の時の親族の会話では「若い時は苦労したけど、あんなにやりたい事やって逝ったんだから
何の未練もないだろうね」と皆笑って話していました。

いちさん、あなたが絶対に幸せになれない!なんて運命は無いと私は思います。
あなたは我家のジイサンのように満足な一生を送るチャンスなんて無いって思いますか?
人間は法の下、権利だけが平等なんですよ。環境が平等なんて事はありません。
同じ兄弟である私と兄貴だって扱いは違うんですから・・w

前向きに生きる事は必要です、でも悲壮に生きる必要は無いと思います。
私がいちさんの文を拝見させて頂いて感じた事は、少し息を抜いて欲しいという事です。

三十路過ぎの いちDQN留学生の繰言、どうかお許し下さい。

154 : :04/03/21 21:36 ID:Lvnx8ok8
あ〜も、こりゃお家再興するしかね〜なこりゃ

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